深野淳也のプロフィール
簡単な紹介
こんにちは!
バックパックが高くて買えないもんやからいつも学校に持っていているリュックサックで旅をしているフカノです。
中学生の頃に本気でターザンになるのを夢見てヤシの木に登っていた帰国子女の関西学院大学に通ってます。
旅行が好きでいろいろな国に行っています。30カ国ぐらいですが、訪れた国々で何かしようとヒッチハイクとスケボーでアメリカ横断したりおにぎり販売をマレーシアでしたり、言葉もわからずミャンマーの地元企業で働いてたりしてました。
日本も何周かわかりませんがヒッチハイクやママチャリ、スケボーでいろんなとこ行ってます。
旅行が大好きなおかげで旅行業の国家資格を持ってます。2週間毎日18時間勉強して一発合格しました。
見知らぬおばちゃん、おじちゃんと酒を飲むのが大好きな大学生です。
ブログを書き始めた経緯
大学生デビューを夢見てワクワクして大学に入学するもワクワクすることがなく大学1年目春学期にして大学の授業に全く行かなくなりました。平日は友達の家でぐだり休日はバイトをしながら夜飲み会に出るという人生で最も堕落した時間を過ごしていましたがそれなりの楽しさに満足する毎日でした。
春学期が終わり、夏休みがくると毎日のように一緒にぐだっていた友達は実家に帰り暇の極みになります。暇すぎて口の中だけでも楽しくしたいと『わたぱち』を買いにママチャリを漕ぎます。しかし近くのコンビニに『わたぱち』は売っていませんでした。これに腹を立てた僕は『暇だし漕げるとこまで漕いでみよう』とママチャリを夢中で12時間漕ぎ続けました。
家に帰宅することを考えてなかった僕は前に進むのも戻るのもめんどくさくなり『どうせなら…』とママチャリを漕いで日本一周を目指します。
この時、蜂に刺されて高熱が出て死にかける、
チャリが壊れたので最短距離で宮崎から鹿児島を目指すために山に入るも迷う、
腹が減りすぎて山の中に育っていたスイカを無断で食べて怒られるも事情を話すと好かれる、
熊本でパキスタン人のゲイに襲われる、
食べられる木の実がだいたい分かるようになる、
吉野家の横で『牛丼が食べたいです』とフリップを持っていると牛丼を食べさせてもらえる、
木の上で寝て落ちる…など
とりあえず一歩を踏み出すことで生まれる『楽しさ』を全身で味わうことができました。
それからとりあえず一歩を踏み出すようになりアメリカ大陸横断やマレーシアでおにぎり販売、ミャンマーで働いてみる、国家資格受験など…色々なことをしていきます。
大学2年生の時には『大学生で起業するってなんかカッコいいやん!!』と動画使ったビジネスを企業に提案し月収40万を達成しますが
『あれ??一生懸命お金稼いでもなんも楽しくない…お金かけて遊ぶより大自然で遊ぶ方がよっぽど楽しい…』と
昔夢見ていたターザン気質が顔を覗かせます。
お金を稼いで派手に遊ぶよりもお金がない状況で工夫して遊ぶ方に魅力を感じ今では働くことを投げ出しブログを書いてぽつぽつと生きています。
あまり人と同じようなことをしているとは思わないのでこんな奴もいるんだよってことを知ってもらえればと思い始めました。
大切にしていること
僕が大切にしていることは”とりあえずやってみる”ことです。
ゲストハウスを建てたくてウズウズして借金するも結局話がまとまらなくて全てがパーになる、
マレーシアでオニギリ売ったら売れるやろと売ってみたら18時間売れずに野宿が続く、
アメリカ横断中にお金が無くなってホームレスと共にコップにお金を入れてもらう行為をサンフランシスコでする…など
何も考えずにとりあえず行動しているのでかなりの回数失敗をしています。
それでもとりあえずやってみた結果、今では共にゲストハウスを建てようとする友達がいる、
マレーシアでオニギリを売って地元メディアに掲載、有名になる、
サンフランシスコのホームレスと仲良くなり観光案内をしてもらう、
国家資格に合格する…など
とりあえずやってみたから得られたものがあります。
因果応報とはまさにその通りです。
今では大学1年、2年とサボり続けてきた単位という名の借金を返済するために同い年が全くいなくなった大学へ通っています。
僕の頭の悪い挑戦を見てもう少しだけ賢くチャレンジをしてみようと思ってくれる人がいればうれしい限りです。
自分自身のためにブログを書き記録を残すのはもちろん誰かの”とりあえずやってみよう”という気持ちの後押しになればと思います。
ここからはもっと詳しいプロフィールにはいっていきます。お付き合いくださる方、大好きです。
生まれてからこれまで
誕生~小学校
生まれた時仮死状態で生まれてきたそうです。障害をもってこれからの人生を過ごす確率があったそうですが運がいいことに動かないのは足の指だけです。
転勤族ということもあり幼稚園、小学校と色々な場所へ行きました。転機となったのはマレーシアに転勤をした時です。小学校3年生でマレーシアへ。
もともと静岡県の田舎町で目立っていたのですがマレーシアに転勤している子達はなぜかみんなキャラが濃くその中で目立つのは至難でした。
インターナショナルスクールに入る予定でしたが昼飯が白いご飯の上にチンゲン菜という成長期の僕には信じられない昼飯だったのでインターをやめ、日本人学校に入ります。
中学校~高校
中学でも転勤をします。小中の人数を合わせて100人いくかいかないかぐらいの小さな学校です。同じ学年は6人でした。この学校に入って毎日をこれでもかというぐらい小学生や後輩と遊びつくします。
ケイドロ、プール、ムシキング、鬼ごっこ…どれも自分より年の低い子達とです。
日本では受験を控え勉強モードに入る時期だと思いますが何も勉強せずただただケイドロをしていました。そんな僕が日本に帰国、高校に通い始めると窮屈な生活がストレスで倒れます。
毎日どんちゃん騒いでいたのが当たり前だったのにそんな生活が一転、ストレスフルな日本社会に圧倒されました。
大学~
友達と中学時代のようにどんちゃん騒ぐようになりました。ただカラオケ、賭けボーリング、賭け麻雀になんら魅力も感じずクラブでお金を使ってもマレーシア時代に友達と深夜まで騒いだプールの楽しさに勝つことはなかったです。
この最高の思い出に勝つような刺激を日本でも求めて色々なことをしています。
毎日の出来事でいえば通学をママチャリでして往復30キロある道のりを最短のルートではなく違う道を通ったり授業前に気分で海や山にいったり、ヒッチハイクで月4回東京方面に行ったり…どれもお金がなくてもできることです。
海外では観光名所を巡るのではなく”現地の人としゃべるため”に行きます。
英語は喋れませんがなんとかなるもんです。なんとかさせるんです。
今はブログをすることで生活しています。
ジリ貧な生活ですがそれでも予定が常にあけられるので好きな人に好きなタイミングで会いに行けるのは本当にありがたいです。仕事をしていた頃はそんなことできませんでした。
就職活動に向けて
めっちゃ悩んでいる同い年も多いと思います。
僕は起業して生きるか、会社員として働くかで悩んでいます。
最近は自由な時間を使って色々な職業の方にお会いしてお話を聞いています。
長短どちらもあるのでゆっくりと確実にどんな人生をつくりだすか考えて結論を出そうと思います。
ただはじめましての人としゃべるのが楽しくてしょうがないのでどなたでもコンタクトを取っていただけるとありがたいです。
好きな時間の過ごし方
- 友達と飲むお酒
- 森で食べるご飯
- 年齢関係なく遊ぶ
- ひたすらに本を読む
- 誰かのために頑張る
趣味
- 死ぬほど疲れることして爆睡
- 川であったおじいちゃん、おばあちゃんと会話
- 中学の頃に一緒に遊んでいた小学生に会ってご飯を奢る