元おニャン子クラブで一世を風靡した生稲晃子さんがどのような人なのか、4年8か月に渡る乳がんの闘病生活、そして、右乳房の全摘出手術をしたことを公表した生稲さんについてまとめていきます。
元おニャン子クラブ:生稲晃子さんプロフィール
本名:佐山 晃子(さやま あきこ)
旧姓:生稲(いくいな)
生年月日:1968年4月28日
出身地:東京都小金井市
血液型:B型
身長:― cm
体重:― kg
最終学歴:恵泉女学園短期大学英文学科
趣味:スポーツ観戦、節約、旅行、和装、ゴルフ
デビュー:1986年
所属グループ:おニャン子クラブの元メンバー(会員番号は40番)
著名な家族:佐山 智洋(夫)
他の活動:歌手、女優
事務所:プロダクション尾木(2009年よりに復帰)
うしろ髪ひかれ隊時代
1987年5月7日発売された「時の河を越えて」がうしろ髪ひかれ隊のデビューシングルで、アニメ『ハイスクール!奇面組』の主題歌とエンディング曲に起用され1987年5月18日付のオリコンシングルヒットチャートで初登場第1位を獲得しました。
2011年から乳がんを患い闘病
4年前の誕生日に乳がん発見
2011年4月28日、43歳の誕生日に乳がんと診断された生稲晃子さんは、家族などのすごく身近な関係者にしか打ち明けずに早期発見のため、リンパ節の転移もなかったこともあり同年5月6日に腫瘍のある部分を切除する乳房温存手術を受け、放射線照射と薬による治療を続けました。
しかし2012年9月にがんが再発。
この時も乳房は温存した手術を受けましたが、2013年10月に2度目の再発が見つかりました。
2度の再発を経て13年に右乳房を全摘出
「私はなにか悪いことをしたのか。平凡に生きてきたのに、罰が当たったのかな。何かいけないことをした報いなのかな」と涙を流し、前向きな気持を持ち続けたが、「初めて、もうダメだと思った」と思ったそうです。
しかしもうダメだと思った時に思い出すのは娘の顔...この子が成人するまで負けてはならないと手術を決意します。
右乳房全摘出手術の3日前には愛娘と一緒に温泉に行き共に入浴するのは最後だと決意を固めたそうです。
2012年12月27日に右乳房全摘出手術は成功し、仕事に復帰することもできました。
右胸再建手術をしようとした経緯
右胸再建出術を受けようとした経緯を生稲晃子さんはこう語っています。
「衣装を着ると、少しずれる。直してもすぐずれるから、人間の体って左右対称のバランスで出来ているんだって、右胸を失ってわかった。仕事をやっていくには、やはり右胸があったほうがいい」
2015年10月27日に再建手術を行い無事成功。
「すごく自然です。柔らかいし温かいと感じられる」と感想を語られています。
この時期に公表した理由について「病気を無駄にしてはいけない。自分の経験を一人でも多くの方にお伝えして、みんなで元気に幸せに生きていこう、と言いたいと思いました」と明かしていました。
きっと北斗晶さんの乳がん告白に動かされた部分もあると思います。
いままで仕事を休まずカメラの前では平静を装ってきた生稲晃子さん
一番苦しかったのは、人に話せないこと、同じ病気の人たちと思いを共有できなかったことだったようです。
生稲さんのオフィシャルブログは毎日のように更新されていますが、乳がんについてはこれまで全くふれずに最近の投稿では、焼肉を食べてニコニコしている画像をアップしています。
闘病を全く感じさせない生稲晃子さんのプロ根性には脱帽です。
生稲晃子が女将をする鉄板焼き屋
生稲晃子さんは夫婦で鉄板焼き屋を経営し、生稲晃子さんも時間がある時には女将として店に出る事もあるそうです。
是非お時間のある時には応援のメッセージをご本人に伝えに行ってはいかがでしょうか??
【鉄板焼き屋情報】
店名:鉄板焼 佐吉 六本木店
電話番号:050-5799-6766
住所:〒106-0032 東京都港区六本木7-9-3
営業時間:月~金 18:00~翌4:00、土 17:00~23:00
定休日:日曜日、祝日