テレビに引っ張りだこのリアクション芸人の”出川哲郎”はもともと舞台俳優というのは有名な話です。
しかしなぜ出川哲郎が”リアクション芸人”という未開発のお笑いを作り上げたのか。
そこには日本のお笑いを語る上では外せない”松本人志”の存在がありました。
”すべらない話”で明かされた出川哲郎がリアクション芸人になったきっかけ
出川哲郎が松本人志と出会ったのは1990年、日本テレビ「ウッチャンナンチャン&ダウンタウンスペシャル~SHA.LA.LA.の使いやあらへんで!!~」です。
出川哲郎は劇団SHA.LA.LAの一員として「ウンナンSHA.LA.LA」に出演、そしてこの時テレビ番組のコラボとして”ダウンタウンのガキの使いやあらへんで”がコラボした時にただの劇団員だった出川哲郎に松本人志がリアクションの面白さを感じます。
そのリアクションの面白さを感じた瞬間というのはプライベートでウンナンと後楽園ゆうえんちを訪れた時にジェットコースターに出川哲郎は乗ることになりますが、出発直後に怖くなり「やっぱり降ります」と降りようとしますが降りられずもうあとの祭り状態。
恐怖におののく出川のリアクションに、ウンナンは大笑いし
「今度、罰ゲームでジェットコースターに乗せよう」
そしてそのVTRがダウンタウンとの特番で使われました。
出川哲郎はリアルに嫌がっていただけだが、その反応に収録スタジオは爆笑の嵐になります。
番組のエンディングで、松本はウンナンに「この子(出川)おもろいな。おもろいから、今度この子貸してや」と言ったのが出川哲郎がリアクション芸人を本職として捉えた瞬間です。
それから体を張るようになり、93年に日本テレビ「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」優勝。
以後、リアクション芸を極め、その代表格となっていきます。
何か物事を決める時に”尊敬する人”に褒められた経験があるということは大きな決断材料になりそうですね。
それにしてもまっちゃんが面白いといった出川哲郎の初めての”リアクション”みたいですね。
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