芸人さんには様々なバックボーンをもった人たちが集まります。
その中でも特異な輝きを放ち始めているのが”オバアチャンの畔柳康治(くろやなぎ こうじ)です。彼の飛びぬけているエピソードをご紹介します。まずは彼のプロフィールからどうぞ。
オバアチャン・畔柳康治(くろやなぎこうじ)とは??
畔柳康治ーくろやなぎこうじ
1979年10月26日愛知県生まれ
2016年現在37歳
事務所は吉本で東京NSC10期生として「オバアチャン」というトリオを組んでいる
東京NSC10期生は多くの人気芸人がいて、再ブレイク中のオリエンタルラジオ、はんにゃ、フルーツポンチ、M-1王者トレンディエンジェルと多くの人気芸人がそろった時代です。
ここで”オバアチャン”の漫才を見てみましょう。
真ん中にボケを置いてWでツッコミをするタイプの漫才ですね。
10年コンビを組んでいてもネタを忘れることがあるんですね…しかし今回ツッコミたいのは畔柳康治さんの過去です。
彼がどのような経緯で25億円もの借金を背負ったのかを詳しくみていきいましょう。
愛知県名古屋市に生まれた畔柳康治さんは、日本全国の「飲食業役員の会長」の息子として生まれます。
畔柳康治さんは実家は超豪邸だったそうで当然のことながら超お金持ちで高級外車を数台所有しており、使用人を多く抱えていたそうです。
子供の頃は「坊っちゃん」と呼ばれ可愛がられてそだてられていたそうです。
実家は、友達を呼んでかくれんぼができるほど広く、畔柳康治さんが押し入れに隠れてたら、札束の入った袋がでてくるほどお金には困ることがない世界だったのです。
日本全国の「飲食業役員の会長」であった父親は息子たちに甘く、なんでも好きなものを買ってもらえたそうで、中学生になった時には誕生日の記念にとゴルフの会員権を与えられていたそうです。ゴルフの会員権は愛知県で取得しようとすればは安いもので数百万になるのでそれを中学生の誕生日に与えられるというのは相当なお金持ちです。
畔柳康治さんのお父さんの持つ驚きのエピソードはまだまだあります。
幼少の頃には、フィリピンの時の大統領・マルコス大統領の晩餐会に一緒に参加した過去もあり、人脈の広さを感じさせます。
一体、父親はどんな人物か気になりますが、畔柳康治さんは一緒に住んでいなかったので何をしている人なのか今だによく知らないということです。
飲食業役員の会長というのも畔柳康治さんが聞かされていた表向きの肩書で実際は”や○ざ”ではないのかという話があります。
それは畔柳康治さんが2015年5月2日に放送されたTBS「有田チルドレン」の出演した際、父親から「後ろから日本刀で頭を切られた」と電話で話しかけられ、実際に血だらけで帰宅したと語っています。カタギの人が日本刀で切られることがあるのでしょうか??愛知県で起こった日本刀で切られた男性のニュースを調べましたがそう言った事件性のあるものは出てこなかったので、表に出てこない事件だったということがいえそうです。さらに、子供の頃に畔柳康治さんは誘拐されかけて使用人たちに助けられたとも明かしています。
確かに大金持ちの子供であるならばさらわれる危険性は一般人に比べありそうですが、その筋ならなおさら高そうですよね….
そんな常人離れした体験を持つ畔柳康治さんは呑気に父親のことを気にすることもなく、高校卒業後も全く働かず2004年に芸人になっても優雅な生活を送っていたそうです。
しかしそれから5年後の2009年、畔柳康治さんが30歳の時に事件が起きます。
突然、父親が行方不明…
実家は全て差し押さえ…
残された家族は、訳がわからず、父親に聞こうにも連絡がつかない状態…
残ったのは借金25億円….
畔柳康治さんの父親は家に住んでいなかったために父親がいなくなった時に連絡手段もなく途方にくれたそうです。
そんなどん底に落とされた畔柳康治さんにさらに驚愕のエピソードが明かされます。
実は畔柳康治さんが母親と思っていた人物は父親の愛人だったのです。
父親には本当の家族が存在して、25億円を畔柳康治さんにかぶせて行ったのです。
失踪した父親が何者だったのかわからず、父親の愛人と暮らしていた畔柳康治さんは芸人という職業を前向きにその時から頑張り始めました。
何せ25億円の借金です。
普通のところから借りれる金額ではありません。
毎月いくら返済しているのでしょうか….
そして父親はどこに消えたのか??
オバチャンが早く売れることを祈っています。
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