北斗晶のプロレスラー時代はどれぐらい強かった?女子プロレス界のデンジャラスクイーン!

 

現在は、プロレスラー佐々木健介の妻であり、マネージャーであり、健介オフィス代表取締役社長でもある北斗晶。

現在は鬼嫁・家庭的な母と言われていますが、プロレスラー時代は誰もが恐れる女子プロレスラーでした。

そんな彼女の強さの一部を紹介します。

 

北斗晶 プロレスラー時代

 

①女子プロレス最強の一人、皆が恐怖するデンジャラスクイーン!

今でこそ健介さんと結婚し、幸せな家庭を持つ彼女ですが、昔は恐ろしく強いプロレスラーでした。

 

当時、ブル中野やアジャ・コングなど格上の選手はいたため、全女トップの証であるWWWAには届きませんでしたが、間違いなく最強の選手の一人であるといわれています。

 

全女時代は万全の体調でタイトルマッチを迎えることがほとんどなく、何かしらのけがを抱えた状態で強行出場し、その姿を見た多くの人に感動を与えました。

 

1993年〜1997年には、神取忍と血みどろの抗争を繰り広げ、“デンジャラスクイーン”とよばれるようになります。

そして、激闘の末、実力日本一の神取忍を破りました。

 

 

②首の骨が折れても再び復活!不死身のプロレスラー!

それは1987年のこと。

 

当時保有していたWWWA世界タッグ王座の初防衛戦時、北斗さんは首の骨を折ってしまい、長期欠場を余儀なくされてしまいます。

 

回復には数ヶ月を要し、その間ベッドで寝たきり状態の生活が続きました。

 

医者からは引退を勧められ、復帰しても30歳をすぎた頃から後遺症で体が動かなくなる可能性があると宣告されていました。

 

しかし、北斗さんは日常生活への大きな影響も心配されたが、なんと首の骨を約一ヶ月で完治させます。

 

そして、復帰への強い想いとファンからの後押し二より、再びプロレス界を舞い戻りました。

 

ちなみに、後にテレビの企画で首の骨密度を測定するが、密度が濃すぎて測定不能になってしまうという伝説も語り継がれています。

 

 

③決してやめない!不屈のファイター!

北斗さんは、たとえどんなに負傷しても決して自分から勝負をやめることはありません。

 

一つに、右ひざを骨が見えるほど負傷しても試合続行を訴えたという話があります。

1990年6月17日、ジャパングランプリ1990の一回戦で豊田真奈美と対戦時のこと。

試合は優勢であったが、場外への攻撃をかわされた際に右ひざをフェンスに激突させてしまいます。

北斗さんは歩行不能になった状態でも試合続行を訴えますが、膝のけがが骨が見えるほど深かったため、ドクターストップがはいりました。

 

その他にも、

筋肉が切れた右腕を極めにかけられても、セコンドからのタオルを拒否、見かねた同期がタオルを投げ込むまで試合を続けたこと、

みぞおちの下の軟骨二本を骨折していても痛み止めを飲み試合に強行出場、ドクターストップをかけられるまで戦い続けたなどの逸話があります。

 

 

④ファンの心を鷲掴み!過激な毒舌マイクパフォーマンス!

彼女は過激な毒舌マイクパフォーマンスで多くのファンの心を鷲掴みにしました。

 

伝説的なマイクパフォーマンスの一つに、対紅夜叉戦のマイクパフォーマンスがあります。

 

当時、女子プロレスには3団体あり、団体の生き残りをかけて対抗戦が催されました。

その時、北斗さんに対する団体は、彼女より明らかに格下の相手を選出し、北斗さんを侮辱します。

その侮辱に対し、相手を瞬殺。

そして、マイクを手に取り、「挨拶が遅れたけど、あたしが北斗晶だ!」

 

⑤必殺技で相手が失神!?最凶のノーザンライトボム!

北斗さんの必殺と言えば、なんと言っても『ノーザンライトボム(北斗ボム)』

相手をボディスラムのように担ぎ上げ脳天から落とす技です。

 

相手を失神状態にしたこともある最凶の技で、この技をかけられた人はもはやマットに沈むしかありません・・・。

いかがでしたか?

今の鬼嫁の北斗さんの迫力も凄いですが、やはり全盛期の北斗さんの迫力はハンパないです・・・

 

こちらは北斗さんの引退宣言です!

涙間違いなしです・・・

 

 

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