名探偵コナンの最新作映画が公開されるので今までの作品を振り返ってみた件について part1

名探偵コナンといえば毛利小五郎を時計型麻酔銃で眠らせて難事件をあたかも

毛利小五郎が解決していくように見せるスペシャリスト。

そんな江戸川コナン(工藤新一)は実際は18歳、つまり高校生なのだが彼の身体能力は桁を超える進化を毎年している。

コナン映画を1作目からおおまかなあらすじとともに振り返っていきたい。

 

 

*コナンとは?

 

1994年から連載が始まっている漫画。

謎の組織によって体を小さくされた小学生探偵・江戸川コナンが、組織の行方を追いながら数々の事件を解決していく活躍を描いた推理漫画であり週刊少年サンデーの人気作品になる。

2014年6号で連載20周年を迎え、『サンデー』歴代史上最長の連載期間となっている。1996年から放映が始まったテレビアニメも高視聴率を取る『サンデー』屈指の人気作品である。

1997年からは毎年劇場版映画が公開されている。

 

 

『時計仕掛けの摩天楼』

名探偵コナン第1作目の映画『時計仕掛けの摩天楼』では有名な建築家が無名の頃に作った作品が左右非対称で気に入らないといった理由から自らが若い頃に設計していった建築物をプラスチック爆弾を用いて爆発させていくのをコナンが未然に阻止していこうとする構成になっている。

また、毛利蘭が時限爆弾を解除した時に言ったセリフは当時観ていた人たちを魅了したはずだ。

最後に特大の爆弾を仕掛けた場所に蘭が閉じ込められ助けに行く新一だったが扉が変形してて開かずに扉越しに変声機をつかい蘭が代わりに爆弾を解体することになる。
しかし順調にいっていた解体作業も最後の一本で行き詰る。

それは森谷帝二が仕掛けた最後の罠だった。

最後の一本。

残るコードは青と赤。

どっちを切れば爆弾を止められるのか。

そんな中 午前0時の鐘が鳴り響き。「くそっ!どっちだ!?どっちなんだ!?」と悩むが答えが出ないコナンに対して
扉の向こう側から「ハッピバースデー、新一・・。だって・・もう、もう・・言えないかもしれないから」と蘭が話し出す。

その言葉でコナンは解体の図面を放り投げ考えるのをやめる。

そして「切れよ」と蘭にいい

「心配すんな。オメェが切り終わるまで、ずーっとここに居てやっからよ・・。死ぬ時は、一緒だぜ・・」

こんなことを言える高校生が果たしているのかナゾですが結果コナンたちは助かりました。

残った青色と赤色のコードのどちらをきるか分からなかったコナンに対して蘭が言った一言が「赤い糸は新一と、繋がってるかもしれないでしょ?」と小指を立てながら満面の笑みで応える蘭に日本国民男子は惚れました。

 

『14番目の標的』

劇場版名探偵コナンの2作目は『14番目の標的』である。

この作品の見どころは小学生の男の子が女子高生の足を撃ち抜くところである。

この映画の率直な感想を言えば名前に5がつくやつにわざわざ探偵を選ばないだろうな、といったところであるがそうでなければ物語は進まない。

また14番目の標的は明らかにされていないが14番目の標的が蘭だったことが毛利小五郎が英理さんを撃った理由につながっているため蘭と思われる。

ことの発端は目暮警部が公園でジョギング中にボウガンで撃たれるという事件から始まり次の日の朝に妃英理が毒入りチョコレートの被害にあう。

さらに、コナンの目の前で阿笠博士が襲われる。

そして、三つの事件の現場には、それぞれトランプに関連のあるものが残されており狙われたのがいずれも毛利小五郎に関係のある人物ばかりであるということ、さらにトランプというキーワードから、目暮警部は小五郎が10年前に逮捕し、今は仮出所中のカード賭博のディーラー・村上丈の恨みによる犯行だと推測している。

しかしこの村上丈は全くの筋違いでありここまで下調べをしてシナリオを考えた真犯人に驚きを覚える。

この映画の殺人犯にあたる復讐の動機は自分の絶対的に自信のある仕事を馬鹿にされそのストレスのせいで味覚に障害をきたしたというもの。

実際にこの状態になれば恨みは出てくるだろうがなにも関係ない人をたくさん巻き込む必要はないだろうなと思うこともある映画であった。

『世紀末の魔術師』

コナン映画ファンにはこの3作目である『世紀末の魔術師』が好きだ!といった方も多いのではないだろうか??

この世紀末の魔術師では怪盗キッドが話の肝となる。

 

この物語の桁外れなところは最初に起きているだろう。

右目を撃ち抜かれた怪盗キッドが無傷であったこと、海に落下した際にエッグが壊れたり、海に落ちたりしたらどうするつもりだったのか。

何を考えて狙撃したのかがよくわからない点である。

またコナンはスコーピオンが右目を撃ち抜くという事前情報によってアガサ博士にメガネを改造してもらっていたが実際に強化ガラスをしてもコナンの場合は至近距離なだけに反動によって鼻ぐらい骨折してもおかしくないのだが、彼には効かなかった。

この辺りからコナンのアクション及びありえない度が急上昇していく。

真犯人はロシア人なのだがその人物が中国人の真似をしてでてくるあたり、さすが国際指名手配されているなと思わせられ、それならば怪盗キッドはどこまで上にいるのだろうかと、彼が超人であることを再認識させてくれる映画になっている。

そして、ラストのコナンとスコーピオンとの対峙シーンが非常にクールであること。

変声期マイクで色んな人物の声を出してスコーピオンを煽っていたが、燃え盛る城の中で、いわゆる窯焼きの中での決闘は暑くてたまったもんじゃないと思う・・・

しかし、こんな状況においても汗ひとつ流さないコナンはやはり超人だ。

 

『瞳の中の暗殺者』

4作目の作品は『瞳の中の暗殺者』で毛利蘭が記憶喪失になりそのきっかけが犯人の顔を見たかもしれないというもので犯人からコナンが蘭を守るという物語になっている。

この記憶喪失が起きた背景には刑事達が何者かによって次々と射殺される事件が発生したことが発端である。

そんな中佐藤刑事も犯人によって命を狙われる。

この刑事襲撃犯人はかなりの知能を持ちさらに用意周到犯である。

停電を起こし懐中電灯をつけた瞬間に相手を襲うといったものだ。

しかし懐中電灯を手に取ったのが犯行現場に居合わせた毛利蘭だったためそれをかばって佐藤刑事は重傷を負ってしまい、蘭はその時に犯人の顔を目撃し、目の前で佐藤刑事が怪我を負ったショックから記憶を失ってしまう。

犯人を目撃したために、命を狙われることになってしまった蘭を守ることにより物語が展開していく。

犯人は蘭の記憶が戻る前にトロピカルランドで蘭の命を仕留めにかかる。

ここでの犯人とのやりとりが今回のクライマックスとなる。

また記憶を取り戻した毛利蘭の見せる反撃も見どころであり、噴水が壁になっていようが撃ったらあたるだろうと子供ながらに突っ込みどころが多い作品である。

 

『天国へのカウントダウン』

5作目の『天国へのカウントダウン』では映画に黒ずくめの男たちが初めて登場した記念すべき映画である。

このクライマックスでは加速度の計算式が実際に用いられており、この数式は実際に正しいものなので実現可能性はありえるかもしれないが爆弾が設置されている、屋上に車がある、その横にプール付きの屋上がある の3点が必要限定条件になってくるので日本にあるのか疑問である。

もし実行したいのであればとけいはストップウォッチが付いているものを持参するべきである。

アクションシーンがいくつかあるが、最も興奮するシーンはクライマックスに近いところで毛利蘭が火から逃れるためにコナンを抱き消火に使用するホースを体に巻きつけ飛び降り下の階に逃れるところだろう。

できるかできないかで言われればギリギリできそうであるが、高層ビルに使われている窓ガラスは強化ガラスなのでそれを空中でぶら下がりながら割る技術があれば、本当にギリギリできそうな範囲であると言える。

この映画でのポイントとしては映画では珍しく少年探偵団の活躍があり、中でもあゆみちゃんの時間を正確に数える能力、ゲンタの仲間を愛するシーンはいつまでも記憶に残っていることだろう。

「少年探偵団の誰かになりきって見るとより一層作品を楽しめるはず」とこだま監督はおっしゃっており、様々な視点から映画を見ることも大事になってくると思われる。

また、その言葉通りお気に入りの誰かに感情移入して物語に入りこんでいけば、「信頼できる仲間がいればどんな困難でも乗り越えられる」というこの作品のテーマが響いてくる作品に出来上がっている。

 

『ベイカー街の亡霊』

6作目はストーリが面白く引き込まれる要素が今まで以上にある『ベイカー街の亡霊』である。

この作品では犯人が誰か最初からわかっているスタイルで進められていき、工藤新一と工藤新一の父親である工藤優作とのコンビプレイが見られる貴重な映画である。

この物語は体験型ゲームに入っていき子供達を人質にとった人工知能によって運命が左右されるものになっており、シャーロックホームズではおなじみのモリアーティ教授やジャックザリッパーといった本の中の人物も描かれていて見所がたくさんある。

このアクションではゲームの中なのでなんでも許してあげたくなるが、最初にコナンが空き缶を蹴った時に通常の距離しか飛ばなかったことでそのハンデはないものと仮定した場合、高速で走り続ける汽車の上に立ち続けているが、小学校1年生の体重でたつているのはどれだけの筋力なのだろうか。

意外性抜群である。

また興行収入もこの時初めて30億円を超えており、どれだけ日本国民の心に届いているのかうかがえる作品である。

そしてこの映画作品では日本の教育システムについて切り込んでおり、「子供の個性を摘み取ってしまう硬直した日本の教育現場は個性を認めようとしない」と劇中でも語っている。

2002年の時点でこの問題に目を向けている作者には脱帽である。

そしてこのゲームを通して個性・自主性・協調性を養い、成長することを期待していたヒロキ君はまさにカッコイイ少年である。


『迷宮の十字路』

7作目は西の高校生探偵である服部平次と京都を舞台に難事件を解決していく物語である。

この作品の見どころはやはり和葉と平次が2人で大きな引き出しから刀をみつけるまでのワクワク感、平次のバイクで真犯人を追うシーン、平次と犯人の一騎打ちなどワクワク要素が多い作品となっている。

京都の通りを覚えるために歌われる歌が今回の事件を解くカギとなり、平次が幼少の頃一目惚れしていた女の子が和葉であったという感動的なエッセンスも含まれている。

またこの映画が公開されて以降ファンはコナン旅行と称して京都をめぐることが流行った。

それは京都駅、清水寺、五条大橋、五条天神、弁慶石、蹴上インクライン 疎水公園ー義経大日如来、南禅寺、鞍馬山 鞍馬寺・僧正ヶ谷不動堂、叡山電鉄・鞍馬駅、宮川町、先斗町、鴨川、梅小路公園、六角堂、仏光寺、京都府警、一条戻橋、貴船神社、伏見稲荷をまわるものであり、是非京都に寄ることがあるならばやってみてほしいと思う。

『銀翼の奇術師』

8作品目は『銀翼の奇術師』でこちらも怪盗キッドが映画では2回目の登場を果たす。

キッドは大胆に工藤新一に変装していくのだが、この映画の見どころと言えば、麻酔針が毛利小五郎ではなく妻の妃英理に当たってしまい妃英理が探偵をしたとことも今までにはない面白いポイントである。

また、真犯人はあっさりとつかまるが、その後に(真犯人も狙ってはいなかったことだが)パイロットが毒物に触れてしまい飛行機の操縦を怪盗キッド、コナンですることになることも一つのポイントである。

小学校一年生に座らせるくらいなら、普通大人がやると思うのだがさすがコナンである。

飛行機は通常自動操縦によって運行しているので、よっぽどのことがない限り墜落しないのだが、ここからが不運の連続である。

落雷による自動操縦解除、着陸失敗による空港炎上、ミスによる燃料切れ、管制塔との無線の不通と人生を諦めろと神にいわれているとしか思えない状況に陥る。

ここで怪盗キッドは天性の才能をみせるが、それがやはりスケールが大すぎて殺人があったことを忘れさせられる。

いいことなのかよくわからないがさすが怪盗キッドである。

『水平線上の陰謀』

9作品目は海を舞台にした『水平線上の陰謀』である。

8作品目は空、9作品目は海とどこでも事件がおこるのには高木刑事も驚いている。

この映画はタイタニックに類似しているものもあり違う目線で見るとまた違った面白さがある。

蘭がかくれんぼをしている間に気を失いその間に船が沈没するという、なんともいえないストーリーだが、やはり面白いものがある。

女性には手を極力上げない毛利小五郎だとは思ったがやはり男であった。

特にこの映画で思わされるのが、「どうしてこんなにも殺されそうな奴が一つの船の上に集まるのだろうか」というところである。

そして毛利小五郎が普段にもましてキレを持ちかっこよさが倍増しているのもなんともいえない。

『探偵たちの鎮魂歌』

メモリアルな10作目ではほぼすべての登場人物がでている。

それが『探偵たちの鎮魂歌』である。

ポスターやパンフレットではコナンのメイン・サブレギュラーキャラクターがほぼ全員集合したものが描かれ、既に亡くなっているキャラクターの頭上には天使の輪のようなものが描かれている。

この作品中に描かれているキーアイテムである腕時計型爆弾の解除番号は57010となっておりコナン10と無理やり理解することができる。

このような遊び心が最もふんだんに含まれている映画になっており、事件が解決した後でジェットコースターに乗っている際にゲンタが解除しわすれており、最後までハラハラさせてくれた。

また、ミラクルランドのモデルになった遊園地は横浜の八景島シーパラダイスになっている。

事件の舞台も馬車道など横浜が中心になっているため横浜在住の方は気になる点が多かったのではないだろうか??

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