平成の怪物と呼ばれる松坂大輔が日本球界に復帰したニュースは野球に興味のある人ならば一度は耳にしたことがあるはず。しかし今現在では平成の怪物は日本ハムの大谷翔平ではないか?と感じさせられることも多くなってきました。確かに大谷翔平選手は二刀流という日本プロ野球界で誰も成し遂げたことのないピッチャーとして10勝、バッターとして10本塁打以上を打ち野球の本場アメリカでもその偉業とも記録を打ち立てたのは野球の神様といわれるベイブルース、彼一人です。そんな大谷翔平に世代交代を元祖平成の怪物はしてしまったのでしょうか??これは松坂大輔の持っている記録を振り返ることで解消することができる謎です。それならば松坂大輔が平成の怪物と呼ばれるに至った由縁を探っていきましょう。
松坂大輔が平成の怪物と呼ばれるわけ
松坂大輔は横浜高校3年時に『平成の怪物』とよばれはじめました。その後約6年間に渡り『平成の怪物』にふさわしい結果を残していると客観的に数字を見て分かります。この数年間は他を寄せ付けない圧倒的な数字といっても過言ではないです。そしてこの記録の始まりは高校横浜高校2年の時から始まっています。
横浜高校時代のあだ名は【サボりのマツ】
横浜高校では「サボリのマツ」と言われるほどの練習嫌いで有名な選手でしたが 自身の暴投によるサヨナラ負けを喫して以降奮起して猛練習、MAX152km/hの豪速球・切れ味鋭いスライダー、カーブ、チェンジアップを武器に超高校級の投手として「平成の怪物」と注目を浴びました。
超高校級!松坂大輔VS村田修一
この動画は巨人の村田修一内野手との高校時代の対決の様子
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不変のルールを変えた松坂大輔
松坂大輔にとって最後の夏となった第80回全国高等学校野球選手権大会では、準々決勝ではPL学園高校を相手に延長17回という長丁場の試合に250球を投げ完投勝利を収めます。しかしこの投球が長丁場の投球が球児の体に与える影響を見直すキッカケとなり現在の延長のルールでは15回までに試合が決しなかった場合後日改めて試合をするか抽選という形になっています。つまり松坂大輔は長きにわたる不変のルールを変えざるを得ない投球をしたということです。
そして決勝の京都成章戦では嶋清一以来59年ぶり史上2人目となる決勝戦のノーヒットノーランという快挙を成し遂げます。圧倒的な活躍で松坂大輔は春・夏連覇を達成します。
甲子園の決勝という疲れがピークに達する舞台でノーヒットノーランを達成という活躍ぶりは怪物と呼ばれるのにまさに相応しい活躍です。
またドラフトで西武ライオンズに1位入団すると初先発時に155km/hの豪速球を披露し注目度が増していきます。この日8回2失点の好投で初勝利を記録し、まさに鮮烈なデビューを飾りました。その試合での(前年パリーグ史上最多の年間四球を記録し選球眼の良さで知られた)片岡篤史選手の豪快な空振りはプロでも変わらぬ“怪物”ぶりを示す映像資料として放送されます。
そして試合では、マイカ・フランクリンへの投球が胸元の際どいコースに行き、フランクリンが怒りをあらわに詰め寄りにいった際、それに動じた様子を見せず、逆に笑顔を浮かべる強心臓ぶりをお茶の間に見せつけます。
松坂大輔の輝かしい戦績
ルーキーとして活躍したこの年松坂大輔はオールスター新人賞、16勝を挙げ最多勝、規定投球回数に到達した投手の中では最高の勝率、ゴールデングラブ賞と高卒新人としては史上初となるベストナイン、高卒新人の投手としては堀内恒夫氏以来33年ぶりとなる新人王に輝くなど数々のタイトルを総ナメにします。
高校時代から平成の怪物とよばれそれをプロ野球界に入っても実証した松坂大輔投手が残した記録はまさに怪物そのもの。この記録を知っていれば誰しもがみな松坂大輔のこの平成の怪物だった頃の投球をもう一度見たいと思ってしまいます。
ソフトバンクの孫オーナーが期待してしまうのも無理もない話です。
頑張れ!松坂大輔投手!!!!
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