80年代の日本のアイドルブーム時代にミスコンの大会に出てミスコンになること53回...
ミスコン女王、ミスコン荒らしと呼ばれた白石さおりさんについてまとめます。
1983年、第2回ミスマガジンに選ばれ、地元福岡でタレント活動を開始します。
中学生になると白石さおりさんは積極的にミス・コンテストに応募、多くの賞を獲得していきます。
オーディション協賛のタレント事務所関係者の間で白石さおりの名は有名となり「ミスコンの女王」「ミスコン荒らし」と呼ばれるようになります。 早い時期から大手芸能事務所への誘いもあったが、殆どのオーディション応募要項に「芸能事務所に所属していない女性」の記述が多くあったため、タイトル獲得記録を伸ばしたかった白石さおりさんはわざと芸能事務所に所属せずに断っていました。
但し、テレビ出演や雑誌の取材などには積極的に応じており、ミスコンで受賞するコツや、好まれるルックスを維持する方法などをレクチャーしています。20歳を機にミスコン応募を卒業、タレントに転身する旨を発表し、それまでに獲得したミスコンタイトルは53冠にも上ります。
日本で最も多くミスコン受賞をした女性としてギネスブックに申請しています。
中森明夫からは「アイドル国宝」と命名されています。
2010年初頭に、出身地である北九州市の観光大使に任命され、ミスコン総獲得回数は54冠となっています。
ミスコン女王のエピソードをここから紐解いていきます。
ミスコンで荒稼ぎする白石さおり
ミスコンの賞金で生活費を稼ごうと普通は思いませんよね?
そんなぶっとんだ賞金稼ぎになったのが白石さおりさんです。
高校2年の時に上京、そこから怒涛のミスコン賞金稼ぎが始まります。
1987年1月に行われた「第2回ライオン健康プリンセス・コンテスト」に、高校2年生だった白石さおりさんが出場しました。
しかし高校2年生時に出れる18歳未満のミスコンの商品というのはグランプリを獲得しても家電製品等のささやかなものばかりでした。
そして時が経ち念願の18歳になり、賞金がもらえる大人のミスコンに出場をしていきます。
しかしここで白石さおりさんは落選を経験します。
18歳以上のミスコンは大人の女性が出場しており今の時代のように若い女の子が勝つことは珍しい時代でした。
18歳になったばかりの白石さんは『若さ』という最大の武器を持っていますが大人の女性達の中で、大人ならではの振る舞いができなかったため受かることができなかったといわれています。
しかしここで挫折することがなかったのが白石さおりさんです。
18歳と若く美人な白石さおりさんが大人の女性の美しさを兼ね備えれば無敵です。白石さおりさんは知り合いの会社の秘書課でバイトをさせてもらい、そこで電話対応等の大人の女性としての立ち振る舞いを学んだのでした。
ミスコンのために仕事を選ぶ彼女の本気さが伝わってくるエピソードです。
そして半年間働いた後のミスコン復帰戦では、一発でグランプリを白石さおりさんは受賞しました。
アイドルからミスコン復帰
そして20歳になってアイドル歌手としてデビューしました。
しかしアイドル時代全盛期に売れることは難しくミスコン→アイドル→ミスコンと復帰していきます。
そして白石さおりさんはミスコン53冠という金字塔を打ち立てたのですました。
白石さおりさんがミスコンで稼いだ金額は、商品をお金に換算すると合計金額900万円位になります。
彼女が獲得したミスコンの一覧がこちらになります。
白石さおりが結婚した夫、息子は誰??
白石さおりさんは1999年にご結婚されて、夫と2人の息子さんがいらっしゃいます。
小野寺丈
小野寺永遠
小野寺星流
星流君は、
2010年のNHK連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」で
村井藍子役の子供の頃の役とししてドラマデビューしています。
女の子役としてのデビューだったようです。
2人の息子さんは、
今大人気のドラマ「下町ロケット」のオーディションにも参加しています。
今下町ロケットのドラマを見ていて、
「あっ、みたことある!」と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか??
白石さおりさんのDNAを継いで2人のこの可愛い息子さんたちもミスターコンテストでぶっちぎりの伝説をつくってほしいと思います。
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