義経が幼少期を過ごした快進撃のルーツ”鞍馬寺”

歴史上の人物の中でも特に人気が高く、数多くの伝説が残る源義経!!

源義経の幼少期から歴史に名を残すほどの人物になるまでを追っていきます。

 

源義経とは??

7b134dac[1]

源 義経(みなもと の よしつね)は、平安時代末期の武将です。

鎌倉幕府を開いた源頼朝の異母弟。

河内源氏の源義朝の九男として生まれ、幼名を牛若丸(うしわかまる) 

最も有名なのは壇ノ浦の戦いでのエピソードではないでしょうか??

それでは幼少時代をすごした鞍馬寺でのストーリーから源義経の姿を見ていきます。

 

義経が幼少期を過ごした快進撃のルーツ”鞍馬寺”

端的に言ってしまえば源義経の父・源義朝が平治の乱にて平清盛との戦いに敗れたことにより鞍馬寺に預けられます。

しかしここには深い愛情の話があります。

戦に負けた武士の子供は殺しておかねば寝首を搔きにくる可能性があるのにどうして殺さずに生かしたのかご存知ですか??

平治の乱で平清盛に負けた源義朝には、常盤御前と言う妻がいました。

二人の間には今若・乙若・牛若という三人の子供がいたのは有名な話です。

まだ乳飲み子の牛若を含めて三人もの子連れでは、常盤も、当然すぐに捕まってしまいます。

捕らえたのは、平宗清。宗清は、常盤の美しさに一目ぼれをし、子供を救ってもらうよう清盛に懇願するように言います。

こうして、三兄弟は母が仇の妻となった代わりに命を永らえ、それぞれ別々の寺に送られることとなったのです。

 

つまり義経は母親の深い愛情によって生かされていたのです。

 

_dsc2299[1] yositune01[1]

幼少期義経こと牛若丸は打倒平家の誓いを新たに昼間は東光坊で学業に励み夜が更けると僧正ガ谷で天狗に兵法、剣術を習ったといわれています。僧正ガ谷とは鞍馬山から貴船にかけて
一帯の山や谷を指します。今も森は深く昼なお薄暗い一帯です

天狗が住むといわれている鞍馬寺はいまでこそケーブルカーがありますが急な坂道を歩かなければつくことができません。

ここで幼少期をすごせば強くなるだろうとおもわせてくれます。

源義経に兵法を伝授した鞍馬山の天狗の正体とは?

thEUVN421U

源義経に鞍馬山で兵法・剣術の修行を行い、平家打倒の意志を固めさせた天狗とはいったい誰なんでしょうか??

もちろん天狗は存在しません。

天狗の正体は、義経の父・義朝の遺臣が身を隠すために天狗の面を被っていたという説や平家に不満を持っていた鞍馬寺の僧ではないかとも言われています。

 

天狗に鍛えられた剣術の腕前はどれくらい??

物語では源義経は、鞍馬山に現れる物怪を相手に、縦横無尽に飛び跳ねて、剣術の腕を磨いたと書かれています。

しかし剣術に長けていたというよりも戦術、つまり兵法に長けていたようです。

義経は本来鞍馬寺で出家をする予定であったため昼間の勉強によって頭脳明晰になったのではないかと思われます。

その義経の頭脳明晰さが光った戦いが一ノ谷の戦い、壇ノ浦の戦いです。

義経の天才的な兵法が光った一ノ谷の戦い

義経はこれまでの戦いのスタイルを大きく変えたといわれています。それは武士の基本の戦うスタイルであった真っ向勝負から奇襲戦のスタイルを確立したことです。

有名な話があります。

平氏は一の谷に陣をしいており、源氏の様子をうかがっていた。一の谷は地形的に前面が海で、背後が絶壁の山。せまい海沿いで、源氏が攻め込むには東の道1本しかありません。
つまり一本道での真っ向勝負です。

そこで源氏軍は二手に分かれます。

範頼軍は東の道から平氏を攻め、義経軍は山を登り一の谷の断崖絶壁を目指します。

崖の下に平氏が…しかし断崖絶壁!

義経が下した決断は「この崖を…降りる」

崖を一気にかけおり、奇襲をもって平氏軍を打ち倒すというものです。

自らの部下を鼓舞するのがうまいリーダーであった義経は
「無謀ではない。見ろ。鹿がこの崖を降りているではないか。鹿が降りれるのに馬が降りれぬわけはない。道理だ。ゆくぞ!」

と平氏に奇襲をしかけ義経と東から攻め込んだ範頼の挟み撃ちにより、合戦は源氏の大勝利となります。

 

義経は鞍馬山で剣術だけではなく兵法も学んでいたので、このような他の武将では考えつかない戦術ができたのかもしれません。