日本の警察ではなくタイという東南アジアの国で日本人がタイ人と共にタイの警察にて奮闘しているのをご存知でしょうか??今回は異国の地で警察として活躍される戸島国雄さんについてまとめていきます。
タイで警察として働く戸島国雄って何者??
1941年生まれ
1960年自衛隊入隊(習志野第一空挺団24期生)
1965年警視庁巡査
1970年より警視庁刑事部鑑識課現場写真係
三島由紀夫割腹事件や日航機123便墜落事故、連続企業爆発事件、幼女連続殺人事件、トリカブト保険金殺人など数々の有名事件事故を担当
1995年 JICAの専門官としてタイ警察庁に派遣
犯罪捜査および現場鑑識の指導に当たり、1998年に帰国
2000年9月 似顔絵専門捜査官001号に任命され、2001年警視庁を定年退職
在任中警視総監賞など107回受賞
2002年より再びタイに派遣され、警察大佐として2011年7月まで活躍
戸島さんはよく事故現場に張られている黄色いテープを考案した人です。他にも似顔絵による犯人捜査を21年間積み重ね日本で第一号となる似顔絵専門捜査官にも任命されたりしています。
いまではごく当たり前の風景になっていますが”現場保存”の意識を残したのは戸島さんの写真係として現場をどう保存するか試行錯誤した結果です。
しかしタイの事件現場で見たのは、日本の緻密な科学捜査とはほど遠い現実で事件現場にはヤジ馬が入り込み、捜査官は手袋すら着用していない現実でした。
腐敗しているタイの警察にJICAの職員として派遣され”現場保存の大切さ”を教えますが”海外のやり方”ということで受け入れられることはなかったそうです。
それはもちろん文化もタイ警察のしきたりもわからず、タイ国家警察においても独自の手法が存在しているためでした。
そこで戸島さんは
「高い教壇の上から教えてやるという姿勢ではだめ」
そう決意した戸島氏は、JICAが推奨する高級住居を離れ、一般タイ人が住む下町のアパートに引っ越し、日々多発する事件事故には必ず出動。
若い警察官たちに現場指導をしながら互いに汗を流し、その帰路には屋台で同じ皿の物を食べ、信頼関係を徐々に築いていきます。
自ら捜査の第一線に立ち、実地で教えた多くの鑑識技術は徐々にタイ警察に浸透し、検挙率は飛躍的にアップさせていきます。
2004年のインド洋大津波では10名の部下を率いて最初に被災地に入り、3カ月間にわたって遺体の身元確認に従事しています。
そんな戸島さんの努力も実り、いまではタイ全土に現場保存のためのテープが存在しています。
日本でもタイでも地位を確立していった戸島さんはタイで警察大佐(頂点から4番目の階級)の地位を与えられています。
戸島さんの人生は努力を積み重ねた結果であるというのがよくわかります。
何かにチャレンジしたい!新しいことをやってみたいと思う方は是非彼の実録を読んでみて勇気をもらってみてはいかがでしょうか??
タイに渡った鑑識捜査官