なんと、噴火し流れ出た溶岩流が、島の一番大きな港である元町港にじわじわと迫っていたのです。
元町港に集まった島民は2500人。
そして、溶岩はもう既に1.3kmのところまで迫っていました。
このままでは溶岩流に飲まれると判断した秋田さんは、半数の1200人を安全な波浮港へ一時的に避難させる決断を下します。
この1200人の大移動に白羽の矢が立ったのがまたしても重久さんでした。
実は、東海汽船は大島の路線バスの運行も行っており、1200人をバスに乗せ、移動させようと考えたのです。
重久さんは運転手38人を元町港へ集め、こう切り出します。
「危険な道のりではあるが、君たちの力を貸してくれないか・・・?」
もちろん運転手の中には妻子いる人も数多くいました。
そんな中、驚くべきことに元町港には38台すべてが集まったのです。
運転手は妻子ある身にも関わらず、危険な任務を請け負う決断をしたのです。
午後9時頃、島民を乗せたバスが一斉に波浮港へと避難を始めました。
しかし、ここにも恐るべき危機が迫っていました。
[ad#wildones]災害対策本部に入った報告は、「波浮港近くの海面の色が変色して濁っている」というものでした。
これは、高温の溶岩が海水に流れて出て起きる“水蒸気爆発(地下のマグマが海に吹き出すことで水分が一気に蒸発し膨張して起きる現象)”の可能性があるという兆候で、このままでは多くの犠牲が出ることが予想されました。
波浮港には1400人の島民が避難しており、もはや万策尽きたかと思われたその時、奇跡が起きました。
なんとちょうどその時、元町港への溶岩の流れが鈍り始めたのです。
元町から溶岩までの距離わずか270m。
秋田さんはこのかすかな希望にすべて賭け、波浮港についたバスにすぐさま元町へ引き返すように指示しました。
元町へ引き返したバスは再び波浮港へと戻り、残りの1400人を元町へと避難させました。(4ページ目へ)
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