『天才バカボン』や『おそ松くん』を余に送り出した天才漫画家・赤塚不二夫。
日本人なら一度は聞いたことのある超有名な漫画家ですよね?
今回は、そんな赤塚不二夫さんの凄さを紹介します。
目次
赤塚不二夫のプロフィール
本名:赤塚藤雄
生年月日:1935年9月14日
出身:旧満州国・中国熱河省承徳市
血液型:A型
星座:乙女座
職業:漫画家
代表作:『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』『天才バカボン』『もーれつア太郎』『レッツラゴン』
受賞:第10回小学館漫画賞、第18回文藝春秋漫画賞、第26回日本漫画家協会賞文部大臣賞、紫綬褒章、第5回東京国際アニメフェア功労賞
赤塚不二夫の凄さ!
最大の裏切りも許してしまう!海より広い心!
1974年、赤塚さんは税務署の調査で税金の支払いが長期にわたって滞納していることが判明しました。
延滞金だけでも6000万円・・・
このような事態に陥ってしまった原因は、フシオプロの経理担当者による横領で、被害額は2億円だったとも言われています。
この経理担当者は、赤塚さんが実印を預けるほど信頼していた人物で、最大の裏切りでした。
失踪したこの人物は後日逮捕されましたが、赤塚さんはこの人物の将来を考え、告訴することは無かったといいます。
自分が最も信頼する人に裏切られたにも関わらず、それでも相手の将来を考えてあげる度量は、流石としか言いようがありませんね!
“お笑いビッグ3”タモリの才能を見抜く!
1970年代半ば、赤塚さんは山下洋輔さんなどを介して、大分県日田市のボウリング場の支配人であった、ある男に出会います。
男の芸を見て、将来必ず大物になるだろうと確信した赤塚さんは、男を上京させ、自らは事務所に仮住まいしながら、男を自宅に居候させました。
男は後に芸能界入りし、一躍大人気。
その男こそ“お笑いビッグ3”とよばれるタモリさんだったのです。
それ以降、タモリさんは赤塚さんを親のように慕っていたといいます。
[ad#wildones]遊ぶときはいつも全力!タモリとのエピソード!
赤塚さんが遊ぶときは、いつも全力だったといいます。
ここで赤塚さんとタモリさんのエピソードを紹介しましょう。
赤塚さんは、毎晩、編集者たちを引き連れて飲み歩いては、新宿の『アイラ』というバーでタモリさんと合流していました。
そんな彼らの日課は、キャバレーの噴水から裸のタモリさんがイグアナの真似をして出てくるなど、新しい遊びを考えることだったといいます。
そんなある晩、赤塚さんがタモリさんに絡みだしました。
二人は徐々にヒートアップ。
周りが必死に止めますが、手にした水割りをぶっかけ、取っ組み合いに。
赤塚さんがタモリさんを羽交い締めにし、鼻の穴に落花生を詰め込むと、今度はタモリさんがグリーンアスパラにマヨネーズを付けて、赤塚さんの鼻の穴に・・・
そこでようやく周りが、「あれ?何かおかしいな」と気づきます。
そうです。この取っ組み合いは、二人が綿密に仕組んだギャグだったのです。
赤塚さんの口癖は「バカなことは本気でやらないとダメ」だったそうです。
また、遊ぶ際に気を抜くと、「ふざけるな!真面目にやれよ!」と怒られるのだとか・・・。
周りが“バカだ”と思うことを全力でやる。
それこそ、『天才バカボン』などの名作を世に送り出した赤塚さんの原動力だったのかもしれませんね!
原画展でピカソ展やゴッホ展の動員記録を塗り替える!?
1997年6月1日より、静岡県伊東市の池田20世紀美術館で、『まんが バカなのだ 赤塚不二夫展』が開催されました。
この展示会では、デビュー前の器量な習作から1990年代初頭までに描かれた約200枚に及ぶ生原稿が展示されました。
また、それだけではなく、赤塚さん自らの肉体を駆使して挑戦した、レオナルド・ダ・ヴィンチやフィンセント・ファン・ゴッホ、エドヴァルト・ムンクといった歴史上の画家のパロディ・アートも展示されました。
フロアには、バカボンのパパやイヤミの銅像が所狭しと並べられるなど、赤塚さんらしい遊び心いっぱいの大回顧展となりました。
この原画展は様々な美術館を巡業し、いずれも大人気を博しました。
特に、上野の森美術館では、期間中に6万5千人もの人が訪れ、ピカソ展やゴッホ展の記録を塗り替え、同美術館の動員新記録を樹立しました。
世界の巨匠ピカソやゴッホを抜いてしまうとは、さすが天才漫画家・赤塚不二夫ですね!
大手術の告知をギャグで返す!豪快すぎるエピソード!
“ギャグ漫画の王様”の異名を持つ赤塚さんは、私生活もギャグで溢れていました。
そんな赤塚さんですが、1997年12月12日、吐血して緊急入院。
医師からは食道がんと申告されます。
医師に、「2ヶ月後には食べ物がのどを通らなくなる」、「食道を摘出し、小腸の一部を食道として移植する手術を行う」と告げられました。
すると、赤塚さんは「小腸を食道に使ったら、口からウンチが出ちゃうんじゃないの?」とギャグで返すというメンタルの強さ・・・
普通、自分が死ぬかもしれないという時にこんなギャグ言えませんよね・・・?
凄いとしか言いようがありません・・・
さらに、24日には退院を強行し、民間療法での治療を選択します。
一度は良くなりますが、再び悪化。
手術を受け、長期入院を余儀なくされました。
13kgも体重が落ちますが、退院後のインタビューでは片手に水割りを持ちながらインタビューを受けるという前代未聞のパフォーマンスを披露しました。
赤塚さんにとっては、すべてがギャグなのかもしれませんね・・・!
[ad#wildones]点字の漫画絵本で空前の大ヒット!
2000年、「視覚障害を持つ子供たちに笑顔を取り戻したい」という想いから、点字の漫画絵本『赤塚不二夫のさわる絵本“よーいどん!”』を発表しました。
この漫画絵本は点字本としては空前のベストセラーとなり、全国の盲学校に教材として寄贈されることになりました。
さらに、赤塚さんは、少しでも安い価格で提供するためにと著作権料を辞退しています。
社会が少しでも良くなるためにと、自らの才能を余すこと無く使う・・・
本当に素晴らしい人格の持ち主ですね!
葬儀には藤子不二雄が葬儀委員長!タモリが弔辞!
赤塚さんは2008年8月2日、肺炎のため72歳で亡くなられました。
葬儀では、藤子不二雄さんが葬儀委員長を務め、各界の著名人たちが集まりました。
そして、藤子不二雄さんの他、古谷三敏さんや北見けんいちさん、そして、赤塚さんを父のように慕っていた森田一義(タモリ)さんが弔辞を読み上げました。
※ちなみに、この時、タモリさんが持っていた巻紙が白紙だったともいわれています。
(関連記事:『タモリ都市伝説!タモリは○○○だった!?』)
赤塚さんは、本当に多くの人々に影響を与え、愛されていたのですね・・・
最期の言葉が「おっぱいだ、おっぱい」・・・?
ちなみに、赤塚さんの生前の最期の言葉は、倒れた際、偶然女性の胸に手が当たって放った「おっぱいだ、おっぱい」だそうです。
また、原稿に記した最期の文字は「想い出を積み重ねていくのが人生なのよ。イヤーン!H」なのだとか・・・
最期まで赤塚さんらしいですね・・・!
そんな赤塚さんの破格なエピソードが詰まった『これでいいのだ―赤塚不二夫自叙伝 (文春文庫)』も出版されています!
ファンの方は、是非チェックしてみてくださいね!
娘・赤塚りえ子が語る!赤塚不二夫の知られざる全貌とは!?
『世界一受けたい授業』では、赤塚不二夫さんの一人娘・赤塚りえ子さんが登場し、知られざる父・赤塚不二夫さんのすべてを語りました!
実は、りえ子は現在、フジオ・プロの社長に就任している他、ロンドン大学ゴールドスミス校ファインアート科を卒業し、現代美術家として国内外で活躍しています。
そんな彼女が知られざる父の姿を語った『バカボンのパパよりバカなパパ』を出版しています。
興味のある方は必見です!
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