1986年11月21日、東京の南112kmの海上に浮かぶ伊豆大島にある三原山が突如大噴火。
溶岩流が町に迫り来るという状況で、島民約1万2千人を脱出させる史上類を見ない大脱出作戦が敢行されました。
今回は、13時間に渡り火山と戦い続けた男たちの奇跡のドラマを紹介します。
三原山大噴火!島民1万人を脱出させた奇跡の脱出作戦!
東京の南112kmに浮かぶ伊豆大島は、周囲52km、島の中心には標高758mの三原山がありました。
この三原山が1986年11月に小さい規模で噴火。
多くの島の人々は観光スポットとして噴火を歓迎していました。
噴火は、収入の7割を観光に頼る伊豆大島の最大の観光スポットとして一躍有名になり、間近で噴火が見れるチャンスだと、日本全国から観光客が殺到しました。
ところが、噴火が始まってから一週間後、事態は急変しました。
これまでの小さな噴火とは、比べものにならないほど大きな噴火が突如発生したのです。
その噴火は今までのような山頂からの噴火ではなく、全く別の場所から起こり、凄まじい勢いで溶岩が流れ出しました。
島内は観光ムードから一転、パニック状態に陥ったのです。
[ad#wildones]この事態に島の最高責任者の植村秀正町長は、大島町役場の秋田壽助役に避難活動の陣頭指揮を委ねました。
大島生まれの秋田さんは、30年役場に勤め、島の事情を最も知り尽くした人物だったのです。
そして、午後5時22分、秋田さんを中心に島の災害対策本部がたてられました。
しかし、午後5時47分、新たな噴火口が開き、さらに深刻な事態に陥りました。
この時点で山裾には11個の噴火口が開き、島民たちが暮らす市街地の間近で噴火口が開いたのです。
島内で避難場所を探している暇ではないと判断した秋田さんは、未曾有の大計画を決断しました。
それは、“全島民1万1千人を島から脱出させる”という世界でも類を見ない大脱出作戦だったのです。(2ページ目へ)
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